世界を舞台にコーヒーを淹れる「Japan Brewers Cup2022」優勝者・小野光さん。
オーストラリア・香港で切り拓いたバリスタの道
小野さんがコーヒーの道へ足を踏み入れたのは、オーストラリアへ渡った26歳のとき。それは突然のできごとだったと言います。
「もともと東北出身で、東日本大震災を機にいろんなことが一気に変わってしまいました。そんな折、知り合いから『オーストラリアはコーヒー文化がかなり盛り上がっているから、行ってきなよ』と声をかけられたんです。『でも僕、英語も話せないし......むりじゃないですか?』って言ったんですけど、『若いんだから行ってこいよ!』って背中を押されて、結局一人でオーストラリア・メルボルンへ。それが全てのはじまりですね」
日本のレストランでコーヒーを淹れる経験はあったものの、本格的にコーヒーを学んだことはなかったという小野さん。現地では、まず働き口を見つけることすら難しかったと言います。
「街を歩いて『ここ、いいな』と思ったコーヒー店に入って、一杯飲んだ後に『ここで働かせてください』と履歴書を渡すんです。何十件も、何十件も回りましたが、全部不採用でしたね。一件だけ電話がかかってきても、英語が全くわからない。結局、何も答えられないままブツっと切られてしまって......。きつかったですね」
ようやく働き口が見つかった後は、ひたすらコーヒーの腕を磨く日々。苦労の連続だったことが窺えます。ですが小野さんは、メルボルンで過ごした時期は、最も楽しいひと時でもあったと話してくれました。
「今振り返ると、駆け出しの頃は毎日が新鮮で一番コーヒーを楽しんでいたなと思うんです。例えばあの時代、厳密に豆の重さを測らなかったんですよね。20gならだいたいこれくらいの盛りだよね、というアバウトな感じだった。でもあるとき、重さを測って、計算をして、濃度も測るコーヒーの淹れ方を知るんです。新しいことを覚えるたび『こんなやり方があるんだ!』と驚きの連続でした。いろいろなカフェを巡っていつもワクワクしていましたね」
朗らかに笑いながら話す小野さん。香港での開業を果たしたと同時に、コーヒーの抽出技術を競う大会への出場もはじめました。
「やっぱり異国の地で認めてもらうには、それなりの実績やタイトルが必要だと感じたんです。文化や言葉の壁がある以上、どうしても現地の人と距離感ができてしまう。それをどうやって埋めようか、模索しながらの挑戦でしたね」
そうして香港で開催された『HK Aeropress 2016』では見事、優勝。「現地の人に認めてもらいたい」という気持ちと努力が実を結んだ瞬間でした。
その後、日本に帰国した小野さんは、トップバリスタがコーヒーの抽出技術を競う大会『Japan Brewers Cup2022』でも優勝を果たし、メルボルンで開かれた世界大会に日本代表として出場しました。着々とキャリアを重ねる中で、特に意識していたことがあると言います。
「そもそも『美味しいコーヒーとは何か?』というところですよね。僕にとってのそれは、『クリーンで雑味のない、フレーバーを明確に感じるコーヒー』だと定義していて。じゃあそのために、どんな焙煎をして、どの水にして、どの抽出器具を使うのか。大会ではプレゼンだけでなく『味』で自分が理想とするコーヒーを披露したいと思っていました。決められたルールの中で、最高傑作をつくる。それが大会に出場する上で最も大切にしていたことですね」
世界大会では、海外選手の様子も肌で実感したといいます。
「海外の選手たちは、バックステージでもコーヒーを淹れて楽しんでいました。敵対するというより、一流の選手同士が国を超えて交流している。自分たちのやってきたことに誇りを持って、誰がどのブレンドをするのか楽しみにしているようでした」
純粋にコーヒーが好き、という気持ちだけで世界とつながれる。同じフィールドで戦った小野さんだからこそ語れる「日本人選手に伝えたいこと」があると言います。
「海外の有名な選手を見ると手の届かない憧れの存在に感じてしまいがちですが、必要以上に気負う必要はないと思うんです。むしろ遠慮や謙遜をせずに、自分がいいと思うものはどんどん世界に出していってほしい。そう伝えたいですね」
現在、東京・代々木に新店舗『Brewman Tokyo』をオープンさせた小野さん。新たな挑戦が走りはじめています。
コーヒーを飲んでくれる人にとって身近な存在でいたいと話す小野さん。最後に、これからの展望を尋ねると、出身地である東北への想いを語ってくれました。
「やっぱりゆくゆくは、生まれ育った東北に恩返しがしたいです。向こうでお店を出せたら理想ですね。自分が培ってきた経験を活かして、若い人やコーヒーに興味を持ってくれる人たちに、少しでもコーヒーの面白さを伝えていけたら嬉しいです」